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時事問題(6)「いじめ」について

シリアスなテーマですのでマジメに雑感を書きます。
小学校3年生の娘を持つ親の身として、決して無関係な問題ではありませんが、幸い当事者&関係者にならずに済んでいるところです。ですが。いつそうなるのか、可能性が決して低くないのが今の我が国の憂うべき現状だと言えるでしょう。

最近気になった記事を2つ引きます。
いじめが自殺につながる日本の「空気」 (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)から(無料登録が必要なので引用しますね)

子供のいじめは中国の学校にも、米国の学校にもあります。しかし、中国や米国の子供がいじめに遭い、自ら幼い命を絶ったという例を僕は聞いたことはありません。でも、日本では起きている。それは、なぜなのでしょうか。亡くなった岐阜の少女の遺書が答えています。日本は過剰に「頑張ること」を強いるからです。

よく言われる日本の「ムラ社会の原理」は、子供の世界から既に始まっているのです。皆が一緒にあるために、自分に無理させてでも努力を強いるこの社会に、日本の子供たちは好きで入ったのではありません。大人が招き入れているのです。学校に行き、お友達と仲良くすることは至上命題であり、嫌な相手がいても、部活が自分に合わなくても、大人から「ともかく、頑張ってみなさい」と言葉をかけられる。

目から鱗というか、これは真実だと感じました。

中国で文化大革命が起きた時、僕はちょうど少年時代でした。僕はこの動乱の中に巻き込まれました。先祖が商売をしていた理由で、資本主義に染まった家族の一員であるとして、僕は周囲の友達から差別を受けました。これは、国の奨励の下で行われた、いじめでした。先生も正々堂々と、このいじめに加担しました。

でも僕は、この時に「死にたい」と思ったことは一度もありません。 僕にとって、家と家族は逃げ場だったのです。玄関を閉めると、そこは別の世界がありました。家族はけして「頑張りなさい」とは言いませんでした。「皆が狂っている。こんな世の中は長く続くわけがない」と毎日のように父や母は僕に声をかけてくれました。

実際、わたくしたちの国には、死ぬことを美化する傾向が強すぎる と感じています。登場人物が自殺する物語作家が他の国と比較しても多いと思いますし。それは結果的に「人の命=人生」を大事にしていない文化だとさえ言えるのではないでしょうか。このことは反省すべき点だと考えています。 もう1つ。finalventの日記(10/31)から。

いじめた相手のことは忘れなさいと思う、っていうかなかなか忘れられない自分がそう思う。

歳をとれば自然にわかることも多いが、いじめた相手は「私」のことを忘れている。「私」が一生そのいじめを忘れまいとしているのは、いじめを是認しているようなものだ。落石事故にあったようなものだ。石を恨むのは愚かであり、石になんらか意識なり尊厳なりを思う必要もない。(わずかに例外はあるが。)

人をいじめた人間は、なんというか、人を軽視できると思っている。「思っている」「できる」というのと少し違うが。が、そうした思いのなかに実は自分自身の軽視が含まれている。そして、人生の総体は、たぶん、それを許さない。

わたくしは、そういった「人を軽視する」思想を、憎みます。同時に、先に引用した記事と合わせて、「死にたい」と思ったことはない という気持ちが大切なのだと思います。それは家族の力であり、それがというものです。その意味で、今のわたくしたちの国がいかに「愛のない」社会になっているかの証だと感じて、暗澹たる気持ちになってしまいます。

だからこそ、今こそ、コミュニケーションの力で 世界に人の心の光を見せなけりゃならない と、この時代の この世界の この業界の 一員として(たとえ、ほんの僅かでも)貢献したいと思います。

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模擬面接(6)志望動機と“きっかけ”は違う

「動機」を辞書で引けば、 “人が行動を起こしたり、決意したりする時の直接の(心理的な)原因・きっかけまたは目的。” とあり、「きっかけ」とは、 “物事を始めるための手がかりや機会。また、物事が始まる原因や動機。” となっています。

似ていますが、もう少し詳しく見てみましょう。「原因」は “ある物事や状態を引き起こしたもとになった事・出来事。” ですから、「きっかけ」に近いと言えますが、わたくしは就活における「動機」というのは、むしろ「理由」を語るべきだと考えています。

それはつまり、“なぜそうなったかという筋道。また、なぜそうするかという根拠。わけ。事情。” のことです。(すべて、三省堂提供「大辞林 第二版」goo辞書から)

たとえば志望動機を問われて、「わたしが小さい頃いじめにあった時、AC(公共広告機構)の『いじめをなくそう』キャンペーンのCMを見て、広告の“人を勇気づける力”を知りました。ですから私も、世の中を変えるメッセージをつくりたいと思っています」と答える学生さんは少なくありません。(「いじめ」と「AC」については、また後述したいと思います)

それでは短絡的過ぎるのです。たしかに「きっかけ」はそうかも知れません。しかし、そこから自分がどう考え行動してきたか、“なぜそうなったかという筋道。” “なぜそうするかという根拠。”を自分の言葉で話せなければダメなんです。ひとことでいえば「考えが足りない」のです。

それでは、どう考えればいいのでしょうか。先の例は突っ込みどころ満載なので、後ろから指摘すると、「メッセージをつくりたいと思っています」に関しては、CMプランナーになりたいのかその業務内容を知っているのか、その覚悟はあるのかそのための努力しているのか。ということを、説得力を持って説明できなければなりませんし、

「広告の“人を勇気づける力”」は、そもそも何のために鍛えられてきたのか公共広告と通常の広告とは、どう違うのか。どこが同じなのか。──そういった洞察と考察がなければ、それは単なるあなたの「願望」にしか過ぎません。

採用する側が聞きたいのは、入りたい“きっかけ”ではなくて、あなたが「どれくらい広告業界に入りたい」と考えているか(という意欲)と、その“理由”をきちんとプレゼンテーションできる(能力がある)か、ということなのです。

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